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 「リョウコクジ」と呼んでください。禅宗では龍の字を漢音で「リョウ」と発します。

瑞雲山 龍谷寺概要

所在地  兵庫県明石市 材木町14-12  ☎078-912-3662    住職  藤井 太堂

創 建元和元年(1615) 

開 基 小笠原忠政 

開 山 天叢大和尚 

宗 派 臨済宗妙心寺派

本 尊 延命地蔵願王菩薩

沿 革  当時は、もともと浄土宗の寺院であったが、元和五年 (1619)に明石藩主小笠原忠政 (後に忠眞と改名)が、その母の菩提寺として境内を拡張し、峰高寺と改称して扶持を続けた 。 寛永九年 (1632)小笠原忠眞が九州鎮護として豊前小倉に移封されると共に、峰高寺も小倉に移転した。その後しばらく幕府直轄地となっていたが、寛永十年信州松本から入封した松平氏の二代目丹波守光重時代(1634~1638)に、天叢和尚が峰高寺の跡地に開山し、 寺号も瑞雲山龍谷寺と改め臨済宗妙心寺派に所属した。それまで北側にあった山門を南側に移し、元の山門後に 一字を建て地蔵尊を祀った。天叢和尚は、ここに庵を結び禅定していたところから、この町を天祖と呼ぶようになった。従来東向きであった本堂もこの時南向きにに改築された。また鎮守として境内の東南隅に金平神宮を勧請したため、「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれた。文献によれば当時の堂宇は総建坪340坪に及び、班内屈指の名刹として尊厳を集めたという。こうして、人々の厚い信仰にささえられ栄えてきた当山も、元禄九年(1696)火災により焼失したため、その後寺域や堂宇を縮小して再建し、連綿と法燈を伝えて来たが、残念にも昭和二十年七月(1945)の大空襲で一字残らず灰燼にに帰してしまった。昭和四十年(1965)に仮本堂を建築したが、平成元年1989)往年の規模(九間×六間)を持つ新本堂の再建に着手、平成三年(1991)開山堂と共に完成した。

山 内

① 境内の北側に硯石を型った台石の上に筆の形をした石碑がある。江戸末期の住職十二世蔵泉紹泰和尚(1799~1863)の遺徳を偲び、親しい人々が建てた墓であ 。 和尚は、書画を能くし、臨済宗の中では並びなき名筆として賞賛された。現在明石市内にその作品が何点か残されている。     ② 境内入り口近くの左手に黒髪塚と呼ばれる砂岩の小さな塚がある。江戸末期の慶応年間(1865~1868)に江戸藩邸詰めの馬廻役で剣の名手として誉れ高かった中田八十之助の死を悼み、その父中谷勝助が国許の明石に届けられた黒髪を埋め霊を慰めたものである。肉太の文字に言い知れぬ父の悲しみが宿っている。           

 お知らせ

〇月○日午前10時~  ・・・法要   龍谷寺にて